人生で初めて鹿児島の地に降り立ちました。
知覧という町に来るために。
10年ほど前に「人生に迷ったら知覧に行け」という本が本屋に並んでいました。自分にとってはインパクトのあるタイトルだったのでどこかその言葉を忘れられないでいました。そしてその著者が「人は話し方が9割」を執筆した永松茂久先生だという事を知りました。
ふと10年越しにその本のことを思い出しkindleで読んでみました。非常に興味深い内容だったので別に人生に迷ってはいないが死ぬまでに一度知覧を訪れてみようと思い立ったので今回の一人旅のきっかけです。
飛行機が良い時間帯になかったので1日目は夜に鹿児島に到着し天文館で1泊しました。

鹿児島(というか九州)には美味しい食べ物がたくさんあるとネットに書いてあったので、初日は郷土料理を堪能する事にしました。
久しぶりの一人旅ですが、やはり全く知らない街へ来るのは楽しいものです。
2日目は念願の知覧を訪問しました。鹿児島中央駅から電車とバスを使って約90分掛かりました。レンタカーで行けばもっと早かったのかもしれませんが、ここはあえてローカルな電車とバスを利用する事で現地のリアルを体感できると思いました。
※喜入駅のバス停が少し分かりづらいので、詳しくはこちらをご覧ください → [ここをクリック]
メインとなるのは特攻隊平和記念館という施設です。その中には実際の特攻隊員の手紙や当時使用されていた品々が展示されていました。(公式サイトはこちら)

正直結構くらいました。
ある程度覚悟はしていましたが何とも言葉にできない感情が湧き出てきました。
確かに永松茂久先生の「人生に迷ったら知覧に行け」という言葉は決して大げさではありませんでした。記念館の外に出たとき、何か物凄いエネルギーやパワーを手に入れたような、そんな感じになりました。

2日目はほぼ終日知覧で過ごしたので移動時間と合わせてあっという間に終了しました。
3日目は早朝の便で飛び立ちましたのでこれにて私の鹿児島遠征は終了となりました。
僕はこれまで人は誰でも弱いものと思っていました。実際僕たちは日常生活の様々な事で悩み、思いつめ、へこんだり悲しみに暮れたりします。
しかし今回の旅で人間は決して弱い生き物ではないという事を知りました。昭和初期の日本には死を前にしても尚、家族や未来の日本のために必死に生き、命を懸けて戦う若者たちがいたのだと。彼らの勇ましい生き方こそ、本来人間が持っている「強さ」であると。彼らが望んだ、いや、彼らが与えてくれたこの平和な日本という国をこれからも大事にしなければなりません。
勇ましくも優しい日本男児
素晴らしい、本当に素晴らしい教訓をありがとうございました。
※4個目のミッション達成
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